今日は、コンパニョン『文学の第三共和政』の第24節「ボスの責任は?」の内容を読み取りました。ランソン主義の罪の多くは弟子たちによるスルス研究&影響研究の矮小化によるものだが、ランソンも根本的な部分で責任を負っており、それは特に、理論の部分に横たわる二つの逆説の解決不能性あるいは曖昧性のうちにある、という話でした。最後のところでは、ランソンを19世紀の文学批評の流れのなかに、断絶ではなく、連続の視点で位置づける見通しが示されていました。第25節と第26節は、まさにその考察が展開されます。では、また来週。