今日はp.73の真ん中改行前まで読みました。今日読んだ部分は面白かったですね。意味は反復からではなく差異から生まれる。したがって、反復の頻度、語の出現回数といった統計学は、言葉の意味論からするとナンセンスである。ラシーヌ的状況を「一般化」するためには、何篇のラシーヌ劇を扱えばよいのか、その数は、五つか、六つか、十か、といった議論は不毛である。バルトの見解をまとめるとこうなる。「一般化」とは、表現の真実を出現頻度から帰納する量的操作ではなくて、関係の総体の中にあらゆる用語――たとえそれが稀にしか現れない用語であっても――を挿入する質的操作であるということ。批評言語の「一般化」は、表現が属する諸関係の広がりに関わるのであって、その表現の物質的な出現回数に関わるのではないということ。作品全体の中でたった一度きりしか使われていない表現であっても、多くの変形の結果、その作品の「至るところに」「常に」存在しうるということ。私たちは論文などでしばしば或る語の出現回数を指摘して「統計的に」その意味的存在の強さを強調するということがありますが、あくまでも、バルトが言うような「諸関係の広がり」との関係においてその「回数」を強調しないと、彼の言うとおり「ばかばかしいこと」になりかねません。というわけで、なかなか教育的なテクストでした。さて、年内は今日で終わりです。次回は年明け1月8日の予定です。